おいどんの日記ブログ

ブログと言うよりただの日記

棘の壁

心も体も、どうにも表現出来ないものに覆い尽くされてしまいそうで、たまらずここへ逃げている。こんな心の辛さは初めてかもしれない。どうしていいのか本当にわからない。
人種とか国とか、そういう問題が絡んだ音楽の事でここまで悲しくなる事が自分に起こるなんて想像もしていなかった。

「何で?どうして?」
この言葉で考え始めて、この言葉にまた辿り着く。
どこにもぶつけられない問いと、導き出せない答えで、すぶずぶと沼地にはまってしまう。悲しい何かで出来た沼地みたいだ。


初めてその人達の曲を聴いた時、大好きな音楽に出会った時だけに起こる、電気が走る様な衝撃を受け、生まれて初めてその国の言語の曲をちゃんと聴いた。その国の何組かのアーティスト達の曲が日本でも流行って流れていたけど、自分の意志でちゃんと聴く事まではしなかった。その国の音楽に、そこまで心が動かなかったからだと思う。
おそらく、自覚しないうちに見えない「壁」を作って、その国の言語や音楽を理解しようとしなかったからかもしれない。これは自分でもよくわからない「壁」だった。

自分でもよくわからないその「壁」に、雷にでも打たれた様な亀裂が入り、その亀裂の隙間から溢れて流れ出した音楽は、本当に素晴らしくて大好きになった。そして貪る様に色んな曲を聴き始めた。曲を聴けば、曲を作って歌ってパフォーマンスをしている人達を知りたくなった。1人1人の名前を覚え、その人達が発するわからない言語に必死に耳を傾け、日本語訳やその話している雰囲気で理解し、自分でその言語を調べ、読み方や書き方を覚えようとした。
その人達の人柄を画面上などで知るにつれ、音楽は勿論、その人達を心から大好きになった。自分の中の「壁」が、穏やかに崩れていく気がした。
そして、この人達なら、国や人種を越えて、分かり合えるかもしれないと幸せな気持ちになった。


私は長崎県で生まれ育った。広島や長崎の人間は、ほかの県の人達よりも、小さい頃から平和について考える時間が多いと思う。それは当然、原爆が落とされた唯一の場所だからだ。亡くなられた被爆者の方々、生き残った方々の現在に至るまでの地獄の様な日々を、命を削りながら、心を引き裂かれるような辛い思いを抱えながら、2度と核兵器を使ってはいけないと後世に訴える語り部の方々の言葉を聞いてきた私達にとって、原爆とは忘れられない・忘れてはいけない出来事だと思っている。


去年だっただろうか?その国の人達のファンになりたてだった頃に驚く事を目にした。メンバーの1人が、世界中の人の目に触れる所で、原爆投下を喜ぶ表現がなされた物を身につけていたとされていた。でもその時の私は、その大まかな事柄だけを知り、身につけた本人はその表現されている意味もわからず身につけていたと聞いていた。
最近になって、その当時の詳しい写真付きの文章を見た私は、ぞっとしてしまったのだ。これは内容を知らずに身につけたとは到底思えない…目に見てわかる写真がついている。何て書いてあるかわからない…それも無理がある。擁護しようとする自分の頭の中で、ことごとくその擁護は論破されていく。

悲しかった。ただただ悲しくなった。心が潰れそうだった。
国が違うのだから、考え方も歴史の解釈も違って当然。それはわかっていた。思想を変えてもらおうとも思っていない。この国を嫌っているかも…それも仕方のない事かもしれない。だけど、どうして広島や長崎にもたくさんいるであろうファンが目にする可能性がある所で、それを身につけなきゃいけなかったのか。どうして誰ひとり気付いてくれなかったのか。
もう何度となく頭の中で考え悩んでいた。これだけ悩むのは、私がその人達に対して本当に親しみを持っていて、その人達の音楽やパフォーマンスが大好きだからだ。嫌いになれたらどれだけ楽だろう。その人達を知る前に戻れたら、こんなに悩まずに悲しまずに苦しまずに済んだだろう。
そんな風に苦しがっていても、ヘイトタグなどをネットやツイッターで目にした本人は、傷付いたりしているんじゃないか…悲しい心と気遣う心でごちゃごちゃになっていたけど、ある出来事を知って、ごちゃごちゃがめちゃくちゃに変わってしまった。

何で?何で今なの?どうしてそのメッセージを強調したの?

…色んな壁を、シーンを乗り越える。それが可能だと私が勝手に思い込んでしまっていたのかな。国や人種を越えて、何かを成し遂げる事が出来るかもしれないと。
音楽もパフォーマンスも人柄も大好きだ。だけど何でこんなに悲しい気持ちになるんだろう。大好きなものに大事な何かを踏みつぶされたような…何て表現していいのかこれだけ書いてもわからない。

あの時、崩れたはずの「壁」の残骸は重なり合って高くなり、行きようのないこの悲しみや苦しさは棘となって、積み上がった壁を覆い尽くしてしまおうとしている。
今、その覆い尽くしてしまおうとしている棘から、傷付かない様にじっとしている自分と、必死でその棘を抜きながら、また壁を壊そうとしている自分とがせめぎ合って体が2つに裂かれそうだ。
憎めない、嫌いになれない。だけど悲しい事実がある。長崎の人間として。

今眠ったら忘れられる?朝が来て、目が覚めたら何事もなく1日を始められる?どうしたらいいかわからない。わからないから、この苦しみだけはここへ置いていく。