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おいどんの日記ブログ

ブログと言うよりただの日記

えくぼ

ふと、どこからか流れていたネット上のとある話に思いを巡らせている。それは、えくぼにまつわる中国での言い伝えについて。


中国では人は死後、冥界と呼ばれる世界へ逝くのだと言う。そこには「忘川河」という河があり、その河には橋がかかっているそうで。その橋には番人がおり、橋を通り過ぎる者に「忘情水」なるものを飲ませ、その者の生前の全ての記憶を消す。こうして全てを空っぽにして人は転生するのだそう。
たけど、中には「忘情水」を飲む事を拒み、生前の記憶を消さない事を選ぶ者がいる。その者には、番人が印を残さなくてはならない。その印こそ「えくぼ」なんだとか。印を付けられた者は、「忘川河」への身投げを選ばされ、凍るような冷たい河の中で、千年もの長きに渡り輪廻を待つ。
そして転生後、千年守り抜いた前世の記憶と、記憶を持っている印である「えくぼ」をつけられ、前世で愛していた人を探すのだと言う。

この話を読んだ時、
えっ、なーんにも覚えてないけどな??
って思った。ポカーンって感じで。
そう。私にはえくぼがある。がっつり深いえくぼが。
千年もの間、苦しくて孤独で辛い、拷問みたいな事を選んでまで忘れたくなかった何かがあるの?誰の事?そんなに大切な人がいたの?さっぱり覚えてないんだけど。
とてもロマンティックな言い伝え。と、その反面、とてつもない恐怖を感じてしまう。
千年もの間、耐え続けて守り抜きたかった前世の記憶が、決して愛とか恋とか友情とか絆だとは限らないと思う。「末代まで祟ってやる」的な、「この怨み晴らさずになるものか」的な、何かに対する凄まじい執念で千年を耐える事だってあるんじゃないだろうか。前世で晴らせなかった無念を、来世で晴らす一心で。

もし、この中国の言い伝えが本当ならば、私のえくぼは何の刻印なんだろうか。愛なのか、憎しみなのか。千年も冷たい水の中で、私はどんな記憶を守って耐えていたのだろう。辛くても苦しくても、決して失いたくなかった記憶。
知りたいけれど、きっと知らない方が幸せなのかもしれない。

私に前世があるのなら、転生した今の私は、自分の人生をちゃんと生きていけているかな?

前世の私、千年を耐え抜いた甲斐はある?