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おいどんの日記ブログ

ブログと言うよりただの日記

デシベル

「良い耳だよ」

小学生の頃にかけられたこの言葉に、何十年経った今でも支えられている。

ふとした時に思い出す優しい言葉。
他人にしてみれば何てことは無いただの言葉なんだろう。でも子供の私だけでなく、大人になった今の私の心にも響き渡っているその言葉。

小学校に上がる前くらいに、突然片方の耳が聞こえなくなった。それ以来ずっと片方の耳で生きている。
不幸じゃないけど不便ではある。
見た目は何ら変わりない為、何も事情を知らない他人からは心ない事を言われたり、凹む態度を取られたり…まぁ仕方ないんだろうな…と子供ながらに思ってたっけ。
だけどすごく憂鬱だったのは聴力検査!学校で学年が上がる度、必ず新年度の身体測定があるけど、申し送りしとけよ!!ってぐらい、低学年までは聴力検査で【要検査】って言われて病院で検査に行かされた。何で全く聞こえない、治らないいわゆる【聾】とわかっているのに検査しなきゃならんのか、本当にワケがわからなかった。

親に連れられて(親にしてみれば嫌がらせを受けている様な気持ちだったろう)総合病院的なデカい所で聴力検査を受けた時。よくよく考えると、自分にしてみれば片方が聴こえないのは当たり前の事だったけど、聞こえている方の耳はちゃんと聞こえているんだろうか?こっちもおかしいかもしれない…
なぜかこの時はそう思いながら検査を受けていた。

検査が終わって、母と私と耳鼻科の先生で検査結果の話をした。「お母さんのおっしゃる様に、こっちの耳は聞こえていませんね。」母も私も、そうなんですよねーって感じでうなずいた覚えがある。
これは私の想像だけど、多分先生は、私と母の無意識の不安を読み取ってくれたんだろうと思う。

「でもこっちの耳は良く聞こえる、良い耳だよ」
にっこり笑って先生は私に言ってくれた。
めちゃくちゃ嬉しかったし、体温がカーッとなるぐらいの力が、体のどこからかみなぎって来る様な何とも言えない感覚を今でも思い出す。
その耳1つで、2つ分の働きが出来る耳だよってニュアンスの言葉もかけてくれた。私だけじゃなく、私を支える母にも希望をくれた言葉だったと思う。
その優しい言葉は、色んな時、様々な出来事の度に私を支えてくれた。この片方の耳を頼りに生きてきた。

今から4年半程前、私のその良い耳に異変が起こった。異変の初まりは、車でいつも聴いている曲が何か変で、カーステが壊れてるのかと思っていた。
それから子を保育園へ登園させる時、インターホンの音がいつもより低くて、電池が切れかかってんのかな?と思った。
そして勤務先で鳴る電話の音がいつもよりワントーン低く聞える。何でワントーン落としてるんだろう?と不思議に思っていた。
偶然、変に聞こえる音の全てが電化製品の音だったし、人の声は普通に聞こえていたこの時は、まさか自分の耳の異変だとは思いもしなかった。
そして音の異変に首を傾げていた2日目、子の話す声が気持ち悪い!!エコーの様な、キラキラした変な反響が声にまとわり付いているように、子の声が頭の中で暴れまわる。

これはおかしい…!

ここでやっと自分の耳の異常に感じて、仕事が休みの土曜に病院にいってみよう…。そう思いながら仕事をしていた。そして異変から3日目の朝。起きた時、クラっとして体がふわふわした。その感覚に『うわぁ~』と声にした時、自分の声がくぐもって聞こえた。明らかにいつもの聞こえ方じゃない。
ゾーッと寒気がした。まさかこの耳が聞こえなくなるなるの??ただ事ではないと思い、会社へ休むと連絡をいれて、大きい病院へ行った。この当時、かかりつけ医や個人病院の紹介状がなくても初診でも診察をしてくれた時期だった事は幸いだったのかもしれない。
問診と聴力検査を受けた診察結果は
【急性低音障害型感音難聴】だという。私にその検査結果を話す先生の顔は深刻そのものだった。
普通の人の場合、両方の耳は聞こえる為、片方がそうなってもそこまで深刻ではないけれど、私の場合は片方しか聞こえないのに、その耳が聞こえなくなりかけていると言う事は、まったく聞こえなくなる事を意味するから。
「90歳とかのお年寄りなら、歳が歳だから仕方ないかもしれないけれど、あなたの場合そうはいかないですよね?まだまだ働かなきゃいけないし、仕方ないでは済まない大変な事ですよ。」その日に入院を告げられた程、深刻だった。
原因はストレスと疲労との事。それから聴覚神経の血流が悪いと、耳の脳梗塞みたいな状態になるらしく、過度の冷えなども原因のひとつだと言われた。

私が入院するという事は、子を親に2週間も預けて見てもらわなきゃならないし、仕事を休めば仕事の引き継ぎの真っ最中だから人に迷惑がかかる………
悩んだ末、入院するのは難しいし、何より入院がかなりのストレスになります…と正直に先生に話した。
すると先生の判断は、2週間の自宅療養で仕事は絶対に休職する事。疲れる様な事はしない。処方されるステロイド剤や他の薬を飲んでも次の診察までに聴力が戻っていなかったらその時は有無を言わさず即刻入院!を約束してその日の診察は終わった。

診断書が出来るのを待つ間。広いロビーの天井から吊り下げられた病院のテレビでは音楽番組が流れていて、平原綾香が「おひさま」を歌っていた。
だけどそれは私の知っている「おひさま」ではなく、気が狂いそうなほど音の狂ったもの。その狂った音を聴きながら、
「もう、子の話す声も笑う声も聞けなくなるのかな…」そう思って、思わず泣き出しそうになった時に診断書が出来たと呼ばれたので、慌てて目を整えて診断書と院外処方箋を受け取り病院を出た。

ステロイド剤の飲み方はちょっと複雑で、飲む量を少しずつ減らして飲むので、薬剤師さんから絶対に間違えない様に気を付けるようにと説明を受けた。他にもビタミン剤などをもらい、その日から聞こえを取り戻す戦いが始まった。
実家にお世話になりながら、本当にじっくり療養した。子供の保育園の送り迎えとかの最低限のお母さん業をしつつ、1日を過ごす。
穏やかなのに穏やかじゃない心。
朝が来て起きる時がいちばん緊張してたかも。まったく音が聞こえなくなってないか…ドキドキしていた。子の話す声を聞いては、「あーまだキンキン響くなぁ󾭜」とか、試しに音楽聞いては「あぁまだ音が狂ってる」とか、確認作業の毎日だった。

先生から、何のストレスが原因でこうなっているのかはわからないと診察の時に言われたから、療養中ずーーっと考えてみた。何が私にストレスをかけているのかを。思い当たる節がいくつかあるなぁと気付いて、無意識に色んな案件をごまかして引き出しにギュウギュウにしまい込んでいたんだと気付かされたし、自分って実はそうなんだなーって客観的に見つめられる時間が出来た事は良かったのかもしれない。

自分の思う『お母さん像』があって、自分がまったくその像に近付けない事。

仕事での人間関係、人間不信。他にもあるけど。

自分って知らない内にこんなにストレス溜めてたんだと改めて驚いた。療養中に母から言われたある事も、ストレスの原因のヒントになったっけ。

自宅療養2週間。発症から治療までが早期だった事も幸いして、聴力は無事回復した。でも、今までどのくらいの聴力だったのかは数値的にはわからないから、元通りではないかもしれないと言われたけど、自分の感覚的にはちゃんと以前の様に聞こえている。ホッとしたけど、先生からはこう言われた。
「この難聴はまた起こる可能性があって、繰り返す度に治りが悪くなるから、これからはストレスを溜めずに疲れ過ぎない様な生活を心掛けて下さいね。」
いやいや、不可能でしょ。ストレスフリーの生活ってどんな生活?疲れない仕事ってどんな仕事?仙人かよ。そう思いながらも予防の為のビタミン剤を飲みながら、また普通の日常が始まった。

しばらくして、ストレスを溜め込まない方法が何となく掴めてきた。具合悪くても無理して薬漬けで出勤していたのを休むようにしたのだ。
きっかけは、2年前に体の異変があり、命の危機に直面していた時に母が言った事。
「所詮、他人事なんだから、痛みや辛さは自分にしかわからない。無理して仕事して、今度こそ取り返しのつかない事になっても、会社はどうもしてくれない。そんな事になって働けなくなったら子供はどうするの?1番心配して悲しませるのは子供やろう?
自分を大事にしなさい。」この言葉をきっかけに、私は今までの自分の変なルールを捨てた。
人に嫌われても構わないから、無理はしないと決めて、少し楽に生きられる様になっている気がする。
そうそう、それと。上司に休職を説明しに行った時の、その上司が私に見せた人間性を忘れる事はないと思う。そのお陰で、こんな上司がいる会社の為に、体を壊してまで頑張る必要はないと思えたから。


耳の調子が少しでも変だと感じると、まずはストレスの存在を探す。必要最低限の我慢以上の我慢を、無理をしていないか。必要以上に他人にいい顔をしていないか。

この片方の良い耳と供に、これからも音のある世界で生きて行けるように頑張ろう。

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